兵庫県立篠山鳳鳴高校の音楽教諭や声楽家として活躍した内山茂子さん(100)=同県丹波篠山市乾新町=が、恩師で「日本音楽教育の父」「西洋音楽の伝道師」などと呼ばれた小松耕輔氏(1884―1966)との思い出をつづった文章が、小松氏の功績を知らせる伝記に収録された。内山さんは、「思いもかけないこと。長生きして無駄じゃなかったと思います」とほほ笑んでいる。
タイトルは、「西洋音楽の伝道師 小松耕輔物語」で、秋田県由利本荘市にある小松氏の生家の現当主・小松義典さんを会長とする「小松耕輔音楽兄弟顕彰会」が発行。昨年3月に発行した「マンガふるさとの偉人」(本紙昨年7月3、7日号で既報)のブックレット版だ。
内山さんが小松氏との思い出をつづった文章を、「モコちゃん(内山さんの愛称)のピアノ」と題して掲載しており、取材で丹波篠山を訪れた義典さんとの対談も収録した。
内山家との縁は明治時代にさかのぼる。当時、東京音楽学校(現・東京藝術大学)の学生で、病を患った小松氏を、内山さんの父・昌雄さん(兵庫県丹波市山南町村森出身)が無償で治療したことをきっかけに交流が始まり、内山さんが誕生すると、小松氏からピアノが贈られた。
その後、内山さんは小松氏が教授を務めていた東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)に入学。小松氏に薫陶を受けながら、自宅にも足しげく通うなど、公私ともに親交を深めた。
小松氏から贈られたピアノは5年前、交流のある丹波篠山市魚屋町の無料休憩所「みくまり」の原未夏さんに寄贈。小松氏のことを調べていた原さんが義典さんに連絡したことで、教え子が存命であることや、小松氏選定のピアノがあることが分かり、急きょ、漫画に内山さんのことが取り上げられることになった。
漫画の発行後、ブックレットも発行することになり、内山さんの文章も収録された。
内山さんは、「不思議なもので、文章を書いていると、どんどん忘れていたことを思い出した。80年ほど前のことなのにね」とにっこり。「先生のことでお手伝いできたことがうれしいし、思い出を書くことが楽しかった。本当に不思議な糸でつながっているような気がします」と話す。また、「先生の功績は本当にすごい。ぜひたくさんの人に先生のことを知ってもらえれば」と期待している。
顕彰会は丹波篠山市立中央図書館(西吹)に伝記を寄贈。貸し出しが始まっている。
◆小松耕輔氏◆ 明治から昭和期にかけて作曲家や音楽教育家、評論家として活躍。日本初のオペラ「羽衣」を作曲したほか、音楽をより身近なものにするため、日本で初めての合唱コンクール「合唱競演大音楽祭」を開催した。また、音楽家の活動を支えるため、作曲家組合(現・日本音楽著作権協会「JASRAC」)をつくったほか、学習院大学助教授時代には、当時生徒だった昭和天皇に唱歌を指導したこともある。