岩窟に響く皇妃の祈り 女人窟 【シリーズ・丹波ムー】

2025.01.15
丹波篠山市地域歴史

承明門院とうわさされた女人が日夜、明かりをともし、読経を唱え続けたと伝わる女人窟=兵庫県丹波篠山市火打岩

兵庫県丹波篠山市火打岩(ひうちわん)の鍔市ダムの南の山中に「女人窟」と呼ばれる岩窟がある。この洞の中で日夜、小さな明かりをともし、一心に読経祈願を続ける気品のある女人がいたという昔話が伝わっている。今から800年も前のこと―。

村人たちはこの女人が「ただ人」ではないことに気づき、また哀れにも思って毎日、食べ物を届けた。いつしか、この不思議な女人のことを後鳥羽上皇の皇妃で、土御門天皇の生母「承明門院」(源在子)である、とうわさした。

この当時、承久の乱(1221年)という朝廷側と幕府側との間に起きた大戦があった。朝廷側が敗北し、鎌倉幕府の執権・北条義時は、後鳥羽上皇を隠岐島への流刑に処し、土御門天皇は自ら望んで土佐国(のちに阿波国)へ配流された。

土御門天皇は1231年、後鳥羽上皇は1239年にその地で崩御。この乱世を憂い、身にかかる皇家の不幸を嘆いた承明門院は、官軍が丹波から多く出ていたという縁故を頼って、都に近く、人目につかないこの火打岩の岩窟に隠れ、一介の尼僧になって祈願を続けた―という昔話。

承明門院は1257年、87歳で亡くなったと伝えられている。現在も女人窟の下方に、承明門院の墓とされる石塔がたたずんでいる。(「篠山町百年史」から引用)

いざ、女人窟へ 読経いまも響く⁉

女人窟の下方にたたずむ承明門院の墓とされる石塔

山裾に車を止め、いざ女人窟へ。その昔、水田だったと思われるスギ・ヒノキの林と、清らかな水が流れる沢に挟まれた、狭路を歩く。ほどなくすると高さ1メートルほどの石垣と対面。ここから北に向かって歩くと獣避けの金網にぶつかる。金網に沿って登って行くと承明門院の墓と伝わる石塔にたどり着く、と同時に、目の前に高さ10メートル以上ある大きな岩山が立ちふさがる。女人窟はその右肩付近。ここまでの所要時間は約30分だった。

女人窟の周囲はスギやヒノキ、カシなどの常緑樹に覆われ、昼なお暗い。

女人窟の最奥部にまつられた役行者の石像

女人窟の内部は高さ約2メートル、奥行き約7メートル。2段構造になっており、奥で一段高くなった畳半畳ほどの空間には、高さ50センチほどの役行者(えんのぎょうじゃ)の石像がまつられている。

撮影の手を休め、ほっと一息ついたその瞬間、かすかに読経が聞こえた―ような気がした。「まさかね」。きっと遠くで木を切るチェーンソーの音だろう。はたまた、尾根や谷を吹き抜ける風のいたずらに違いない。

それとも、現代もなお続いている国内の政治不信や世界の情勢不安に心を痛める女人が、天下泰平の世を願って、今も祈り続けているというのか―。

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