地域に寄り添い100周年

 

 


 

 

 

「丹波と100年、このさきも。」

 

 1924年(大正13)10月12日、氷上郡柏原町で「丹陽新聞」が創刊されました。この新聞は丹波新聞の前身であり、この年を弊紙創刊の年としています。

 

 丹陽新聞は、憲政会系の地域政治グループ「氷上立憲青年会」系の機関紙でした。創刊号には、憲政会総裁で時の首相の加藤高明が寄せた「祝創刊」の揮ごうを1面に掲載するなど、華々しく誕生しましたが、やがて経営難に陥り、1929年(昭和4)、小田嘉市郎が買収し、経営を引き継ぎました。嘉市郎は、今の丹波市春日町下三井庄の生まれで丹波新聞社の初代社長です。嘉市郎は、丹陽新聞を丹波新聞と改題し、一般商業紙として再出発を図りました。

 

 戦時下に休刊を余儀なくされるなど、幾度も荒波を乗り越えながら新聞発行を続け、創刊から今年で100周年を迎えました。

 

 大正、昭和、平成、令和へと時は移り、社会はすっかり変わりましたが、「形こそ小さくても日本一の豆新聞たる」ことを目標に掲げ、あるべき地域紙を目指した嘉市郎の初志は今も引き継いでいます。おかげで地域紙としては珍しく100年もの命脈を保つことができました。

 

 丹波新聞は、地域に密着した新聞です。紙面に取り上げる話題はすべて、私たちの住む丹波地域に関する事柄です。記者をはじめ社員はみんな、丹波地域の住民です。読者の皆様にとって身近な事柄を、読者の皆様と同じく丹波地域の生活者である者たちがお伝えしている新聞です。だからこそ地域に寄り添った紙面づくりができると確信しております。地域紙ならではの特長であります。

 

 丹波新聞は、出身者にもお届けしております。地域と出身者とのつなぎ役を果たしております。これも地域紙ならではの持ち味であろうと思います。

 

 少子高齢化、人口減少と、丹波地域は今、時代の波にさらされています。コミュニティーが揺れています。今後、丹波地域はどうあるべきなのか、コミュニティーをどう守っていくのか。そして地域の豊かな明日をどう築いていくか。これらの課題を住民と共有し合い、共に考える「場」の一つとなることが、地域に寄り添った弊紙の存在意義と考えます。

 

 「日本一の豆新聞」になるために何をなすべきかをこれからも模索しながら、次代に向けて歩み続けてまいります。これまでに皆さま方から寄せられたご支援に感謝しつつ、変わらぬご支援を伏してお願い申し上げます。

 

2024年 年頭

 

丹波新聞社 代表取締役社長  足 立 友 宏
会 長  荻 野 祐 一
相談役  小 田 晋 作

 

 

 

 

【総務部】
小田恵美子 平和な一年でありますように、と願うばかりです。
山口真由子 もしもに備える。後回しにしない。気力体力もきちんと充電。

 

【製作部】
黒井 良太 公私とも、“忙しい”さえも楽しむ。あと、運動不足解消!!
杉本 静香 長距離散歩で体力、筋力づくりに励みます。
淺野 智之 初心に立ち返り目の前のことや人に丁寧に向き合う。
山本 愛理 一度きりの100周年。自分にできる事を精一杯がんばる。
日置  強 心にゆとりを持ってしっかりと校正作業を行う。

 

【編集部】
芦田 安生 いつも笑顔を忘れず、仕事を楽しみたい。
坂井 謙介 創刊100年目を感謝の気持ちを持って、地元の方と共に。
足立 智和 山合いの静かな暮らしに少しでも潤いと刺激、話のタネを。
古西  純 年女、娘2人がダブル入学の年。体を軽くしたいです。
森田 靖久 すぐに疲れないよう体力づくりに励む。ついでに腹筋を割る。
太治 庄三 昇り竜のごとく、記事の中身も人間力も上昇させたい。
田畑 知也 「こんなん調べたら、おもろいんちゃうかな」を大事に。
澁谷 晃平 とにかく、走る。新たな出会いと発見を。笑顔は忘れずに。

 

【営業部】
片山 泰秀 感謝の心を忘れずに、知恵と勇気で飛翔の年にしたい。
衣笠  泉 笑顔ですごせるよう、心も体も健やかに。寛大な心で。
吉見 徳政 人生2周目の2年目。身も心も整理整頓。
岸田 慎也 わが子に負けないよう、体力づくりに努めたいと思います。

 

【印刷部】
梅田 幸良 今年は還暦を迎え、画竜点睛。何事も最後までやり遂げたい。
藤本  直 健康に気をつけて頑張りたい。
足立 雄造 気は長く、心は丸く、腹は立てず、人は大きく、己は小さく。