親という壁

2011.12.01
丹波春秋

 先日、春日で開かれた教育フォーラムで、達身寺の渡辺健臣住職が発表者の1人を務められた。渡辺住職はかつて、非行をおかした子どもらと生活する児童自立支援施設に勤めていた。その体験の中から、暴走族の旗手になった女の子の話をされた。▼門限を破って帰宅しても、親は「おかえり」と言って迎え、怒らない。それが2度、3度と続く。何をしても怒られないと思ったその子は、歯止めがきかないまま、ずるずると傾いていった。渡辺住職は「親が怒っていたら、変わっていたかもしれない」と話していた。▼篠山出身の臨床心理学者、河合隼雄さんもよく似た話を書いていた。下着を盗み、捕まった中学生の話だ。その子は「理解のある親を持つと、子どもはたまりません」と言ったそうだ。理解力を勘違いした親は、子どもが何をしても許してしまったのだろう。河合さんは「親という壁にぶつかることを通して、子どもは自分というものを知り、現実というものを知る」(『こころの処方箋』)と書いている。▼家庭という言葉には、「庭」という字がある。庭を健全に保つには、伸び放題になった枝を剪定するなどの手入れが必要になる。庭の字を含む家庭も同様なのだと思う。▼子どもを庭木にたとえると、親は時に剪定ばさみを入れないといけない。(Y)

 

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