歴史の証言

2012.04.21
丹波春秋

 柏原高校生が、祖父母らから昔の暮らしや子ども時代の遊び、方言などを聞き取った学習成果を本日付の紙面から連載する(6面に掲載)。1回目は衣料キップやDDT、スズメを捕って遊んだ思い出などを載せた。今後も、祖父母の興味深い歴史の証言が登場する。▼歴史は、教科書に載っている歴史がすべてではない。教科書に載らない歴史こそ、その分量は膨大だ。スズメを、仕掛けたわなで捕った出来事などは、まず歴史の教科書に載るまい。しかし、スズメとたわむれた子ども時代の自然体験は、その人にとっては自身の歴史の一つだ。▼鎌倉幕府がいつ成立したかは知識として大切であっても、その知識自体が人格形成に及ぼすものはない。これに対してスズメを捕った体験は、その人の感性や価値観などに何がしかの影響を与えたかもしれない。教科書に載らない歴史を軽んずることはできない。▼奇才の寺山修司は「私は、私自身の記録である」と言った。記録という言葉は、歴史に置き換えられる。私は、私自身が歩んできた歴史の集積として今があり、あなたも、あなた自身が歩んできた歴史の集積として今がある。人の内部には、それぞれに蓄積された歴史がある。▼祖父母からの聞き取りは、教科書では学べない歴史学習になったことだろう。 (Y)

 

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