シューベルト身近に
バリトン歌手 小玉晃さん (大阪府豊中市在住)
(こだま・あきら)1969年(昭和44年)奈良県橿原市生まれ。 県立高田高校、 京都市立芸術大学音楽学部声楽科卒。 同大学院修了後、ウィーン国立音楽大学に留学。 大阪音楽大学、 同志社女子大学講師。 父親の孝司さんは氷上町新郷出身。
市島町の街角コンサートに出演し、 篠山鳳鳴高校出身の講談師、 旭堂南左衛門さんの講釈を受けて、 シューベルトの 「魔王」 を歌った。 「最初に講談の語りで雰囲気が出て、 歌に入りやすかった」 と話し、 講談師との共演に満足そう。
音楽好きだった父母の影響で、 物心ついたころ、 ステレオから流れるクラシック音楽に親しんだ。 声楽の道に進むきっかけは、 吹奏楽部でチューバを受け持っていた高校2年のとき、 女子部員の多い合唱部から、 楽譜が読めるという理由で、 助っ人を頼まれた。 「メロディーだけでなく、 詩の素晴らしさがわかったことが、 新しい発見だった」
本格的に声楽を志すようになったのは、 大学に進学後。 大学院を経て、 ウィーン国立音大に留学。 歌曲の伴奏、 ピアニストとして世界的に知られるワルター・モーア氏に師事し、 歌の解釈を教わったことが、 大きな財産になった。 留学中には、 シューベルトの生まれたウィーンに住み、 生家を訪ね、 「シューベルトの音楽の生まれた空気を吸収できて良かった」 という。
帰国後は、 ドイツ歌曲、 宗教曲を中心に演奏活動を行っている。 「歌曲では、 一人で3人、 4人の役柄をこなさなければならないのが、 難しい」
丹波は父親のふるさと。 「小学生のころ、 正月や夏休みにちょくちょく遊びに来ました。 リヤカーに従兄弟 (いとこ) たちを乗せて走ったり、 もちつきも思い出」 と語り、 丹波の生活が原点になっている。
シューベルティアーデたんばの総合プロデューサー畑儀文さんとは、 大阪のバッハ演奏会で初めて共演。 その後、 親しくするなかで、 畑さんが丹波出身と知り、 意気投合。 街角コンサートへの出演を依頼され、 一昨年に初めて篠山市の会場に出演した。
「親戚の人に会場に来てもらったり、 有難いですね。 シューベルトの歌は日本で歌われているのは、 ほんの数曲。 眠っている素晴らしい曲をみなさんが身近に聞けるように、 これからも歌っていきたい」
(臼井 学)