アメリカ留学が原点
ルフトハンザドイツ航空ディストリビュションマネジメント 吉田 勇司 (よしだ ゆうじ) さん (横浜市在住)
1949年 (昭和24年) 市島町生まれ。 柏原高校卒業。 空港ビルディングで1年勤務後、 69年ルフトハンザドイツ航空入社。 空港勤務の後、 市内支店の発券課から現在の部署へ。
「すべてはケント高校留学に始まりました」と振り返る。
柏高2年生の夏から1年間、 交換留学生の第一期生として米ワシントン州のケントメリディアン高校へ。 「向こうからはまだ留学生は来ない。 こちらの高校も派遣にあまり積極的でない」 という状況の下、 父親が 「すべての責任を取る」 といい、 祖母が遺族年金をはたいて往復の航空券を買ってくれ、 家族全員の応援で実現した。
日本人の渡航は珍しかったころ。 周りの話す英語がよく分からず、 つらくて逃げ帰りたい思いもしたが、 もっとつらかったのはむしろ帰国後だった。 「僕が英語をしゃべると、 男子全員が教室を出ると決めていたり、 英語の授業では先生が当てていき、 僕の前にきてぴたっと止めるんです」。 だが今となっては、 それもこれも懐かしい。
ルフトハンザ航空に就職できたのも、 面接で英語が有利に働いたから。 入社してからはドイツ語ができないと昇進がむずかしいとわかり、 休暇をためて半年間ドイツへ語学留学。 現在の仕事は、 航空運賃に関する規則整備や社内外からの問い合わせへの対応、 政府認可申請、 社内および同盟航空会社のスタッフ教育、 などと多岐にわたる。 「忙しくても休暇がいっぱい取れるし、 海外旅行も自由に行けます」 と、 今あるのはすべて留学のおかげと言う。
40歳になって合気道を始めた。 師範を目指して稽古に励み、 空手、 杖道、 気功と次々と東洋の武術に関心を広げてきた。 セカンドライフにそなえて、 東洋医学の専門学校へ入学準備をしている。 「外国に住み、 外国人と接しているうちに、 自分が日本のことを何も知らないと気づいたからです」。
柏高の後輩たちには 「リスクを恐れずチャレンジして、 チャンスをつかむことが大事」 と、 身をもって示している。
(上 高子)