考古学に新しい発想
奈良大学教授 酒井 龍一 (さかい りゅういち) さん (大和郡山市在住)
1947年 (昭和22年) 篠山市二階町生れ。 66年篠山産業高校電気科卒。 70年関西外国語大卒業。 奈良大学では考古学、 同大学院で国際文化財史科学を担当
世界の古代文字、 発掘川柳などユニークな在野研究を続ける考古学者。 篠山産業高校の電気科に進んだが、 卒業後は外国語大学に進学。 国内最大級の弥生時代遺跡、 「池上曽根遺跡」 (国史跡) で、 発掘調査のアルバイトをしたことが、 現在の仕事につながった。
「英語学科でしたので、 英語で高地性集落についての卒業論文を出し、 何とか審査にパスしました」 と大学の専攻と好きな考古学をうまく活かした。 大学卒業後も同遺跡の発掘に専従。 その後、 設立された大阪府文化財センターに就職した。 そこで発掘のプロや高名な考古学者の支援を受け、 論文を発表し、 弥生研究者として認知された。
ところが、 安定した生活に空き足らず、 30歳過ぎに休職届を出してアメリカへ。 アリゾナ大学で語学研修をしながら、 世界的に著名な考古学者の授業も受講した。 在米中に、 学生時代遺跡発掘で縁のあった、 奈良大学の水野正好教授 (後に学長) から声がかかり、 同大学に就職。 「人生何がどうなるやらわかりません」 と笑う。
大学に勤務したころ、 アラスカやシリアに発掘にも出かけた。 さらに、 シルクロード博のあと奈良県の派遣を受け、 シリアのパルミラ遺跡から出土した碑文の文字を解読するなど研究の幅を広げた。 その際、 独学でアラム語など様々な古代言語も習得した。 目下、 奈良県斑鳩 (いかるが) 町の法隆寺一帯の 「聖徳太子の都市計画」 を復元中。 常々、 新しい発想で考古学に新しい息吹を吹き込む。
父親は、 多紀文化顕彰会の中心的存在で、 酒井ひか平 (本名利光) として、 篠山の川柳界の草分け。 「子供のころ父について、 文化財の探訪に行っていました。 考古学や川柳もその影響かもしれません。 父は僕に何も言わなかったけれど、 メッセージを発していたのかな。 退職後は、 きっと篠山に帰ります」。
(臼井 学)