阪神淡路大震災の2年後から西宮に下宿し、4年間神戸市内の大学に通った。下宿近くには壊れた家屋が残っており、乗り継ぎ駅周辺では広い空き地が再開発事業を待っていた。震災の傷跡は当時、まだあちこちに見えていた。 先日大学時代の友人宅を訪れた際、久しぶりに下宿していた街を歩いてみた。廃屋は跡形もなく撤去され、駅周辺の空き地には大きなショッピングモールが建っていた。この場所が被災地だったことは、もう外見上は分からない。 「10年」は、ものを建てるには充分な時間だった。しかし、立派になったハコモノをよそに、被災者はいまだ復興の途上にある。日本経済新聞のアンケートには、被災者の約3割が「精神的な面で立ち直っていない」と回答したという(11日付け同紙)。 1995年1月17日の朝は、ひどく寒かった。当時高校まで自転車で通っていたので、路面がその冬で一番凍結していたことを今でも覚えている。「あの日」の冷え込みが、10年経った今も多くの被災者の心を覆っている。日の光が射し込むのはいつか。各メディアの震災特集にふれるたび、そう考える。(古西広祐)