1950年代から60年代の半ばまで、プロ野球のパ・リーグには、福岡の西鉄ライオンズと大阪の南海ホークスの「2強」が君臨していた。 記録を見ると、50年からの9シーズンで、南海、西鉄ともに3年連続を含む4回のリーグ優勝。文字通りの「宿敵」だった。そのため88年、球団売却にともない「ホークス」の九州移転が決まったとき、当地の古い野球ファンは複雑な思いだったという。 同じ年に阪急から売却された「ブレーブス」は、数年後の神戸市移転とともに消滅した。ホークスも、ファンの支持を得るためにチーム名を変える選択もあったろう。しかし、「福岡ダイエー」はホークスの名を残して、今にいたっている。 氷上郡の六町名が新市でも存続することが決まったとき、このことが頭に浮かんだ。歴史も因縁もある名前を存続させ、チームづくりを進めたプロ野球団と、古い町名を残し新市に向かう氷上郡の姿が、どことなく重なる。 福岡のかつての宿敵は、10数年を経て「われらのホークス」になった。この先例に氷上郡もならえるかは、「チーム」のメンバーでもありファンでもある、我々住民にかかっている。(古西広祐)