「雨水」と柏原厄除大祭

2008.02.18
丹波春秋

 今ごろを「雨水」という。雨水とは、立春や春分などと同じ「二十四節気」のひとつ。氷が溶けて水になり、草木の芽が吹き始める様子をあらわした言葉だ。2月19日ごろが雨水にあたる。▼雨水のあと、啓蟄、春分となり、4月5日ごろをいう清明を迎える。清明は、萌え出した草木の芽が清新な緑に輝く様をあらわしている。啓蟄などの言葉は今でもよく使われるのに対して雨水や清明はあまり耳にしないが、豊かな響きを持った美しい言葉だ。昔の人たちが、季節の移ろいに詩情を感じていたことをうかがわせる。▼四季の移ろう風土に住んでいるがゆえに、季節の移ろいに対する感受性が育まれたのだろう。その鋭敏な感受性は、四季に生々流転までも見いだした。季節の移ろいは、生死の繰り返しにほかならないと受け止めたのだ。▼春夏秋冬がある「年」は、永遠に生死を繰り返す「旅人」。だからこそ、芭蕉は「行(ゆき)かふ年もまた旅人なり」といった。『奥の細道』の冒頭にある言葉を、梅原猛氏はそのように解釈する。▼柏原八幡神社で今日、明日、厄除大祭が行われる。大祭が終わると、いよいよ暖かくなると昔から言われているが、それはまさに雨水と符合する。そして年々歳々、冬が衰え、春が生まれ出ることを告げる厄除大祭に「行かふ年」を感じる。(Y)

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