禅僧で作家の玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)さんが京都・天龍寺での修業時代のことを書いたエッセイ「ベラボーな生活」に、こんな話がある。管長が毎朝自転車で散歩中にすれ違う爺さんがいて、管長は「おはようございます」と丁寧に挨拶するのに、がんとして返事をしなかった。▼それでも管長は「まるで昨日のことは覚えていないとでもいうように」、欠かさず挨拶し続けた。そして3年経った朝、その爺さんは突然近づいてきて号泣したという。秋葉原の無差別殺傷事件の報道を見ながら、ふとこの話を思い出した。▼同情の余地は全くないが、それにしても孤独な男である。住んでいた静岡の派遣社員の寮は、家主でさえ住人の名前を知らず、まして近所の人も顔を合わすことすらなかった。職場での他人との交流も皆無に近かったのだろう。▼元々、自己顕示欲が強かったようなのに、その落差は大きかった。行動までの経過を、携帯サイトの掲示板に独り言のように克明に書いているのは、「誰かに読んでほしい」という気持があったからに違いない。しかし誰にも答えようがなかった。▼7年前の池田小の事件は大きな衝撃だったが、同様の事件が今年になって3件。社会全体が大きなストレスを抱えている。根本の所を考えていかないと、また繰り返す恐れがある。 (E)