稲畑人形

2011.01.05
丹波春秋

 旅行先の博物館の郷土玩具展示場で、丹波の稲畑人形が陳列してあるのを見かけたことが再三ある。そのウサギ土鈴が今年の80円年賀切手の図案に採用された。製造元の赤井君江さんに切手や玩具収集家から注文が殺到し、対応に大わらわだ。▼天神様や金時、加藤清正など、大抵の古い家に残る稲畑人形は幕末期、稲畑村(氷上町)の篤農家、赤井若太郎が京伏見人形にならい、地元産の粘土を使って始めた。赤井家は養蚕や漢方薬の製造も手がけていたので、行商の手で全国に普及。最盛期には集落内の7戸が製造し、農閑期に200人が従事した。▼維新の勤皇家だった若太郎は書や和歌をたしなみ、子弟教育のため「稲畑学校維新舎」を作る際に福沢諭吉を訪ね、「学問のすすめ」ほか地理や物理の書籍を大量に買い込んだ。諭吉が「片田舎にも人材はいるものだ」と感心したという。▼人形作りは一時、存亡の危機も迎えたが、今は、小学校教師を定年退職した5代目、君江さんが1人こつこつと取り組む。後継者作りと並んでの課題は、100種類以上残る型をはじめ、全国に得意先があった頃の様々な文書、帳簿類などの資料館作り。▼「稲畑人形」は、同地が全国に誇り得る地場産業、そして情報発信の拠点だったということを、年賀切手が改めて教えてくれた。(E)

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