青垣の蘆田博さんが東日本大震災に思いを寄せ、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩を木に彫ったという話題が21日付の弊紙丹波市版に載っていた。欲を持たず、粗食で満足し、己を利さない。「雨ニモマケズ」はそんな意味の言葉で書き出したあと、利他の心を表現した一節が続く。▼「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ…」。困っている人がいれば、己を捧げて尽くす。この詩のようなエピソードが賢治にはいくつもあるようだ。▼農学校教師時代、病気で入院していた同僚に給料の大半を渡していたように、困窮している人にはお金をどんどんあげた。気候不順による稲作の不良に心を痛め、風雨の中も東奔西走したため風邪をひき、肺炎になってもいる。▼亡くなる前夜、肥料のことを聞きに来た村人のため、賢治は重篤の床から起き、着物を着替えて村人と対し、肥料の設計についてくわしく指示したという逸話もある。すべてのものが一つにつながっているという世界観から、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という思いが賢治にはあった。それが賢治の利他の心を貫く柱だったのだろう。▼「東ニ地震ノ被災者ガイル」。利他の心を、「雨ニモ負ケズ」は問いかける。(Y)