真珠湾攻撃の日、興奮に包まれた銀座の町をクールな目で見ていた日記「断腸亭日乗」の書き手、永井荷風はその18年前、関東大震災の翌月に次のように書いている。「近年世間一般奢侈驕慢、貪欲飽くことを知らざりし有様を顧れば、この度の災禍は実に天罰なりといふべし」。▼やはり文学者出身の某知事が同じようなことを公言し、後に陳謝していたのは、このくだりが頭にあったからか。しかし、両者が決定的に違うのは、被災の現場に身を置いての思いであったかどうか、という点だ。▼荷風は同じ日、都心の坂の上から房総の山影が何物にも遮られずに手に取るように見えたとも記している。明治以来、文明の急速な進展と共に人々が贅沢を求め、東京がいびつなまでに膨れ上がったことに改めて気付き、それに身を任せてきたおのれをも自嘲して「天罰」と言ったのではないか。▼それにしても当時の東京は、さは言っても精々、10階建てのビルが所々に建っていたくらいだろう。エネルギー消費量ならば現在はその何千、何万倍以上にものぼっていよう。▼その結果が今、世界中の人々を脅かすに至ってもなお、「前へ、前へ。もっと、もっと」の進歩信仰はすたらない。この事態を「天罰」と呼ばれるのは悲しいが、しかし「警告」としては耳を傾けようではないか。(E)