15日付の弊紙で、柏原高校の同窓会報に寄せた歌人の上田三四二の原稿を紹介した。その原稿には、「(旧制柏原中)五年生のとき父が病気になって帰郷した」とある。父親は中風だった。柏原に残った上田は民家に下宿し、学校を終えた。▼父親は小学校の教師だった。上田が4年のとき、父親が柏原の新井小学校に転勤。それに従って上田は伊丹中学校から転校した。上田に『中風』と題した随筆がある。それにも「小学校の校長をしていた父が倒れたとき、私は旧制中学校の五年生だった」とある。▼『中風』は、「母のことを思い出すほどには、父のことは思い出さない。男親とはそうしたものだろう」で始まる。40代半ばで中風にかかり、右半身不随の不自由な毎日を余儀なくされ、数え年55歳で亡くなった父親。『中風』は、そんな父親の晩年のうらぶれた姿を、抑えた筆致で書いている。▼上田は、母親ほどには父親を思い出さないとしつつも、年を重ねるにつれ、顔かたちや歩き方が晩年の父親に似てきたという。男親と息子とは、そうしたものかもしれない。▼息子は、父親をときにうとましく思い、そむき、一定の距離を保とうとする。しかし、根っこのところでつながっている。遠くて近く、近くて遠い。息子にとっての父親はそんな存在なのだろう。(Y)