福島・宮城に続いて岩手の被災地に入った。大槌町でガレキの中を歩きながら、前回も思ったことだが、「人間とはつくづくゴミを作る存在」だと、あらためて思った。「被災地の人々が」ではない。「我々人間が」である。▼造船所の土砂さらいの作業中、ふと海に目をやると海鳥たちがのんびりと波間を漂っていた。見た目ほど安穏ではなかろうが、少なくとも彼らにとっては3月11日以前も以後も同じ暮らしぶりだろう。▼「いっそ鳥になりたい」との感傷に浸りそうになったが、そうはいかぬ。人間の味を知ってしまった我々は人間を続けていくしかないのだが、しかし鳥たちの暮らしぶりがそのまま変わらずに続くように努めるのは、我々の責務だろう。▼数年前、モンゴルの遊牧民を描いた「天空の草原のナンサ」という映画を観た。夫が町で買ってきたプラスチック製の容器、日本なら百円ショップでいくらでも買えるようなものを、妻が「きれいね、便利だわね」と、ためつすがめつ眺めるシーンに感動した。余計なものを備えないゲルの住居は、しかし同地でもどんどん減っていると聞く。▼そして今、最も手ごわいゴミは、廃炉になる福島第1原発内の核燃料集合体1500本。ほかに使用済み燃料が3000本以上、行く先も定まらないままプールにある。(E)