被災地のまちづくり

2011.07.06
丹波春秋

 宮城県気仙沼市でカキ養殖をする畠山さんから「海の恐ろしさを先祖代々、聞かされてきたから、漁師は比較的命を失わずにすんだ」と聞いた(5月12日号本紙)。▼その後、岩手県大槌町の避難所で長峰さんというおばあさんが「沖の島へ海草採りに行っていたら、海の色が急変したのですぐ家に引き返し、一目散に山の方へ逃げた」と話すのを聞き(6月9日号)、合点がいった。▼町長初め多くの職員が犠牲になった大槌町では、海辺の庁舎が地震で壊れ、職員らが机を外に持ち出して対策会議を始めようとした所を津波に襲われた。「死者に鞭打つわけではないが、行政に甘さがあったのは否めない」と関係者は口を揃えた。▼大震災復興構想会議の政府への答申は、地形に応じた住居の高台移転について詳しく述べている。高台の家で難を免れた畠山さんもその推進策を訴える(7月3日号毎日)が、しかし浜から急な山を20―30メートル上った所に1軒だけ建つ彼の家ですら、「危機一髪だった」ことが、立ち木にひっかかった材木などからよくわかった。▼今回の被災地の多くは、山が海に迫り高台のスペースなどごく限られ、宅地造成には膨大な費用がかかる。お年寄りでも逃げ易い道作り、住民同士の連絡体制、日頃の怠りない訓練など様々な工夫との組み合わせが必須だ。(E)

 

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