きょう9月4日が「櫛供養」の日だと知ったのは20年以上前。柏原の旧家に住む高齢の女性から教わった。家にお邪魔すると、毛せんの上に櫛やかんざしなどがずらりと並んでいた。その数はざっと400本。象牙、らでん、べっ甲などさまざまで、毛せんの赤色との対照が美しかった。▼普段はしまっているこれらの櫛を、櫛供養の前日に取り出し、木の桶に入れたぬるま湯につける。そのあと、1本1本を柔らかい乾いた布でふき、水油をつける。櫛供養の当日、毛せんに並べ、ロウソクを灯して菓子や果物を供える。▼それぞれの櫛に思い出がある。楽しい思い出もあれば、戦死した夫の葬儀でさしていたものもある。それらの思い出を回想しながら、「女の財産」である櫛に感謝を込め、櫛の前で手を合わせるのだと女性は言っていた。▼櫛供養があれば、針供養もある。折れた針をコンニャクなどに刺して手を合わせる。櫛供養といい、針供養といい、美しい風習だと感心する一方、人とモノとのつながりを思わざるを得ない。モノの有用な価値に感謝するだけでなく、モノにも命があると感じ取り、その命を尊ぶ。だからこそ供養するのだろう。▼使い捨ての時代に、私たちはモノの命を感じ取っているだろうか。今も櫛供養をしている民家はあるのだろうか。(Y)