信則公の墓を建立 “前の織田”3代そろう 柏原の成徳寺

2011.10.20
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 丹波市柏原町北中にある柏原藩織田家の菩提寺、 成徳寺に同藩2代目織田信則公の墓が建立され、 10月15日、 開眼供養法要がとり行われた。 信則公墓の建立で、 同寺では 「前の織田」 3代の墓がすべて整備されたことになる。

 建立は、 妻の先祖が柏原織田藩の家臣だったという、 本庄善七さん (83) =柏原町北中=の篤志で実現した。 本庄さんは 「先祖には、 関ヶ原の戦いで戦死した人もいる。 先祖が仕えた人に、 報いることができてよかった」 と話した。

 信則は、 柏原藩初代藩主・信包 (のぶかね) の3男として慶長4年 (1599) に生まれ、 慶長19年 (1614) に家督を継いだ。 大阪城の修築工事に参加したほか、 寛永3年 (1626) には徳川家光の上洛に従った。 寛永7年 (1630) に32歳の若さで死去。 法号の恵照院は同寺の山号にも用いられている。

 同寺には当初、 3代目信勝の墓しかなかったが、 10年ほど前の信勝350回忌に合わせて信包の墓を整備。 残すは信則の墓のみとなっていた。

 同寺の河合宗徹住職によると、 NHK大河ドラマ 「江」 の放映で、 墓を訪ねて来る人が増えたという。 「前の織田」 3代の墓は自由に見学できるが、 事前に同寺 (0795・72・3866) に問い合わせれば、 「前の織田」 3代と家臣たちの位牌が並ぶ位牌堂なども見学できる。

 

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