9月29日号本欄で、亀岡での「細川ガラシャ・江・春日局」シンポジウムに触れ、「江」のドラマの時代考証をした小和田哲男静岡大名誉教授が「柴田勝家の越前北ノ庄城は落城時も火をつけられていないが、『感じを出すため少しだけ燃やさせてくれ』と頼まれ、『少しだけなら』とOKしたのに、観たらめらめら燃えていた」と裏話を披露された旨、書いた。▼ところが数日後、読者から葉書を頂き、「柴田勝家の北ノ庄城でなく、浅井長政の小谷城ではないか」との指摘。あわてて取材メモを読み直すと、確かに「小谷城は焼けていない」と記していた。念のため小和田氏にも確かめたところ、「その通り、私が話したのは小谷城のことです」。正しくは「浅井長政の小谷城」と、訂正します。▼執筆時、何故か柴田勝家のことが頭にあって北ノ庄城と思い込んでしまい、メモもろくに見ずに誤って書いてしまった。日頃、記者たちに極力気をつけるよう口うるさく言っていることを、自らやらかした。未熟を恥じるとともに、迷惑をおかけした小和田先生に、また読者に心よりお詫び申し上げます。▼シンポでは別の講師の福島克彦氏(大山崎町歴史資料館)が「史実に少しでも近づけるよう、地域史との関わりを一層強めたい」と話されていたことも付け加えておく。(E)