社団法人情報通信エンジニアリング協会・西日本研修センター所長 葦田正和さん

2011.12.18
たんばのひと

鳥の目で災害復旧を

(あしだ まさかず)神戸市在住

 1947年 (昭和22) 丹波市氷上町沼生まれ。 柏原高校卒業後、 日本電信電話公社柏原電報電話局に入社。 NTT東大阪支店設備部長などを経て95年に関西支社阪神復興臨時建設事務所次長。 2002年に退職後、 現職。

 NTT西日本で通信設備の設計業務に携わり、 阪神淡路大震災では自らも被災者でありながら、 ライフラインである通信の復旧、 復興の指揮をとった。 この経験が買われ、 東日本大震災でも通信の復旧方法、 今後の復興などの指導を行っている。

  「阪神淡路」 では、 電柱、 通信線などの壊滅的倒壊を目の当たりにしたため、 約50万回線の復旧を約2週間で終え、 約850カ所の避難所に臨時電話を開通。 復興では、 通信設備の光化や災害に強い地下化の推進、 通信センター分散化に取り組み、 東北でも「阪神淡路」をモデルに復興が進んでいる。

  「阪神淡路」 の通信被害状況や復旧、 復興の経験を技術者らに講演、 パネル展示で伝え、 震災から15年の節目の昨年、 本にまとめた。

 東日本の震災は、 神戸でパネル展示中に起きた。 その直後に通信設備を復旧する責任者から指導、 支援の要請を受けた。 災害対策本部長には、 「まずは工法無視、 検査無し」 という方法を提案した。 「阪神淡路」 の時に現地で指揮をとる立場で、 当時の本部長と相談し、 決めた方針だった。 携帯電話がつながらない東北の避難所に、 臨時特設公衆電話を設置して被災者に喜ばれた。 また、 震災直後には、 陸路は渋滞が発生していることなどを勘案し、 日本海経由で被災地に入る方法も提案した。

  「緊急時には、 大局的に見て判断する鳥の目が必要なことを痛切に感じた」 と話す。 NTTの通信事業を請け負う19社が集まり、 災害時に、 技術者同士が息を合わせ一刻も早く通信手段を届けるための、 プロジェクト立ち上げにも奔走した。

 災害時には、 極寒のなか、 不眠不休で仕事をした。 「中、 高校時代に陸上で鍛えた体と趣味の山登りが役立った」。

 

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