郵便や電信などを扱う逓信省の大臣を務め、台湾総督という大役も果たすなど、終生、政界で活躍した柏原出身の田健治郎。阪鶴鉄道の開通などに尽くした田艇吉の弟で、ジャーナリストで政治家でもあった田英夫の祖父にあたる。▼安政2年に生まれ、幼くして篠山藩の儒者、渡辺弗措の門に入った。12歳のとき、弗措が江戸に行くことになった時、随行を願い出た。もちろん歩いての旅。自分の目で江戸のまちを見たいという思いがあったのだろう。わずか12歳での向学心の高さ。大器の片りんをうかがわせる逸話だ。▼16歳のとき、健治郎の学才を見込んだ和田山の長者が、健治郎を養子に迎え入れた。しかし、もっと学業に励み、雄飛を図りたいとの思いが強く、数年後、養子の離縁を申し出た。▼離縁を渋る養家だったが、神社に参り、誓いを立てた健治郎の決意の固さについに折れた。誓いとは、「志を立てて故郷を出るからには、何事かを成し遂げなければ、いかなることがあっても故郷には戻らない」というものだった。柏原の実家に戻り、母親に「独立独行で学業に励む。金銭の援助は求めません」と告げたあと、ひとり東京に向かった。19歳のときだ。▼明日は「成人の日」。旅立ちの節目だ。郷土出身の田健治郎の旅立ちを紹介し、新成人へのはなむけとしたい。(Y)