創建は天平17年 (745年)、 行基によると伝わる高野山真言宗の名刹である。 応挙寺として有名。 京都で苦学していた円山応挙をここの住職が資金を援助して大成させた。 その恩に報いるため、 応挙と弟子たちが、 この寺にすばらしい障壁画を完成させた。 この寺を3年前に私たちが訪問した時、 ここに中井権次の彫刻があることを教えられ、 これが探訪の旅の出発点となった。
客殿の虹梁の上に5、 6頭の唐獅子の乱舞が目に入る。 躍動感あふれるものである。 6代目中井正貞の十八番の一つだ。 その背後の欄間も正貞の手になる。 山門を覗う。 多彩な彫り物がある。 なんと言っても、 少年が象に乗っている彫り物が秀逸だ。 ほかに例を見ない。 猿、 兎、 鳳凰などもあり、 唐獅子が首を少し左に振っているのが印象深い。 銘がある。 7代目中井権次正次、 その相方、 久須真助とある。
元高校教諭 岸名経夫