創建、 平安時代中期 (927年頃) 延喜式内社。 国道9号線三俣の上六人部小学校の裏手に鎮座する。 小式部の内侍の 「大江山生野の道の遠ければ…」 の歌で広く世に知られた所である。
明治6年に生野神社と改称されたのを記念して彫刻が施されたものと推測される。 昭和4年の改築の折に古い彫刻をそのまま移動させたと考えていい。 拝殿の唐破風のすぐ下には、 迫力ある竜があり、 さらにその下には、 唐獅子が2頭。 木鼻にはそれぞれ、 唐獅子と獏が辺りを警戒しているようである。 また2頭の虎がこれもまた周囲を威嚇している。 別の個所には長寿を表す亀の彫り物も目に入る。
珍しいのは、 脇障子が正面に向かって直角に付けられてはいなくて、 やや斜めに向いていることだ。 この脇障子に鯉に乗っかった仙人の彫り物がある。 彫り物師は、 当国栢原町住人、 中井清次良正用、 正貞の弟である。
元高校教諭 岸名経夫