創建時不詳。 古くからこの地域は、 京都の下鴨神社社領の荘園に縁のある地域であり、 上加茂、 中加茂、 一宮、 伊都伎、 二宮、 そして三宮の6社があり、 秋には 「お旅」 と称し、 神輿が練り歩いて宮神社へと宮入りする様子は勇壮である。 地域の結束の強さを表しているのであろう。 この神社は中竹田地区の旧道を左方面に上って行った所にある。 神域は大きくはないが、 漆喰の高い塀で囲まれた清楚な神社である。
ここの本殿向背に、 左上方を睨み、 うろこの彫りも鮮明な竜が見える。 くりくりと巻いた銅線の髭も鮮やかである。 木鼻には、 定番の唐獅子と獏の姿がある。 ここにある脇障子は興味深い。 武人の姿が彫られている。 いわゆる戦前には神功皇后の三韓征伐と言われていた朝鮮半島への遠征の海の上の情景を彫ったものだろう。 氷上町の味耜 (すき) 高神社や山南町の伊都伎神社にも見られ、 8代目中井権次正胤の大正期の作品と思われる。
元高校教諭 岸名経夫