創建は南北朝時代(1370年ごろ)で、歴史ある曹洞宗の名刹である。再度の火災後、現在の建物は安永年間(1772年)ごろに再建されたものである。摂津と丹波の堺にあり、摂丹境永沢寺とも称している。「花と仏と蕎麦の里」と銘打って広く知られている。一方、広大な七堂伽藍が佇む寺域には圧倒される思いだ。建物の大きさに驚かされる。しかも掃除が行き届き、庭木もよく手入れされていて、住職の心根がよく伝わってくるようだ。
中央客殿の山門が見えてくる。大きな唐破風の兎の毛通しには、鳳凰が大きく羽を広げている。向背の部分はやや狭いながら、真ん中に宝珠を握った左向きの竜がしつらえられている。そのすぐ上には、獅子噛が下の梁に噛みついている。木鼻には、定番の唐獅子と獏がそれぞれ阿吽の呼吸でいる。別の梁間には唐獅子が踊っており、持ち送りには菊の花も見える。彫り物師、4代目中井言次君音の秀作である。
元高校教諭 岸名経夫