高野山真言宗。創建は平安時代の朱雀天皇の御世で今年で1074年になり、さらに、一条天皇時代の年号正歴を寺名にすることを勅許された由緒ある寺院である。また平重盛も当山の本尊に深く帰依し、荘園を寄進したり、那智山と称することも勧めた名刹である。表参道からは長い石段が続いている。車道を利用して本堂近くまで、いっきに登る。この付近をゆっくり流れる由良川の清流を眼下に、ひねもす川のせせらぎが懐かしく響くようだ。秋、9月には、萩の花が辺りに咲き競い“萩の寺”として有名である。
本堂を見る。屋根の頂上に採光や換気のための越屋根と称する、京都の相国寺や等持院に見られる由緒あるしつらえがなされている。彫り物を探す。本堂の彫り物のスペースが少なく、中央向拝の竜とそれに乗る仙人、木鼻の象、持ち送りの菊の花などが目に入る。天保9年大改築の際、中井権次正貞の手になる彫り物だ。
元高校教諭 岸名経夫