「若草リボン」と再会

2016.03.10
未―コラム記者ノート

 丹波市出身の畑田萌香さんが出場したワールドカップモーグルたざわ湖大会の観戦後、岩手県盛岡市経由で帰途についた。盛岡は、東日本大震災で被災した三陸沿岸部へ支援物資を届ける際に訪れて以来5年ぶり。街角で震災の痕跡に出くわすことはないが、書店に並ぶ震災関連本の多さは被災県ならではだった。
 花巻空港(岩手県花巻市)の売店で「若草リボンバッジ」を見つけた。知人の岩手県立千厩病院長(当時)が発案したものだ。「一致団結して難局を乗り越え、若草のように復活、再生しよう」との思いがこもった手作りのリボンは、バッジに形を変え被災した生徒の進学を支援する「若草リボン基金」となった。バッジは500円で、300円が生徒に渡る。
 支援物資を持って同病院を訪れた際、リボンをもらい、長くつけていたが、いつの間にか紛失した。
 思いがけない形でバッジと再会し、5年前の気持ちが蘇った。今も継続して支援している人がいる。支援を必要としている人がいる。そのことを忘れないように、予備を含めて2つ買った。(足立智和)

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