笹部新太郎

2016.04.07
丹波春秋

 「亦楽山荘」は一面山桜に覆われていた。巷のソメイヨシノよりはるかに地味ながら、その簡素さが胸を衝く。まさに「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」だ。▼ここはJR武田尾駅から福知山線の廃線跡をたどり、急峻な山に入った所。「桜博士」笹部新太郎が私財を投じて在来種の研究、保護育成のために作った演習林だ。今は宝塚市営「桜の園」となり、「桜守の会」のボランティアらが遺志を継いで園内整備や自然観察イベントを展開している。▼笹部は古来種の育成はもとより、大阪造幣局「通り抜け」初め全国各地に様々な品種の桜苗を提供した人として知られるが、水上勉のエッセイ「花守の記」には、5百年の樹齢を持つ岐阜の庄川桜を生き残すのに貢献した話が紹介されている。▼御母衣発電所のダム湖底に水没するはずだったアズマヒガンに電源開発総裁の高碕達之助が心を痛め、ダム湖岸への移植を笹部に相談。この老木を2百高い位置まで運び上げて活着させるのは至難の業と思われたが、意気に感じる職人も現れ、1カ月半がかりで移植は完了。翌春、笹部らが祈る中で見事に花を咲かせた。今も湖面に若々しい花影を映す。▼「一経済人とひとりの桜好きの老爺が成し遂げたことを、しっかりと誌す日本歴史書はない」と水上が力を込めた庄川桜をいつか訪れたい。(E)

関連記事