足元の備え

2016.04.28
丹波春秋

 30数年前、「九州横断マラソン」に参加。約30人が宮崎県延岡市から熊本県下益城郡小川町(現宇城市)まで150を3日間、50ずつ一緒に走った。公民館で寝泊まりし、真夏の暑い盛りなので朝5時に出発、昼前に着いた。▼熊本は勿論、全国から来た人たちと仲良くなり、他のレースで一緒したり、今なお年賀状を交換している人も。▼当時20代だったOさんはその後、熊本市北東の菊池市に嫁ぎ、子供達も独立。地震での安否を電話で尋ねたら、「すごく揺れたが水道もようやく復旧し、市内は比較的大丈夫」とのこと。ただ、実家のある南阿蘇村で母が老人施設にいて「無事らしいけど、道路が寸断され行くに行けない」と案じていた。▼宮城出身で熊本市北西の荒尾市に住む別の女性Yさんは「地震発生の日の午後、たまたまテレビで活断層の話をしているのを観ていた。宮城のことは身に染みているのに、熊本は年に1、2度微震があるくらいだったので、もうひとつピンと感じていなかった。そこへドカーン」と振り返った。▼丹波でも、神戸の震災は身近に感じたものの、依然として“無地震”神話がまかり通っている。ひょうご防災リーダーの石田裕之さんの「支援だけでなく足元の備えももう一度点検を」(24日号本紙)という言葉を改めて噛みしめたい。(E)

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