進歩と切なさ

2016.10.13
未―コラム記者ノート

 車のラジオから、アルファベット3文字の英会話教室のCMが流れた。
 母「A子ちゃん、〇〇〇の時間よ」
 娘「…ママは間違ってる」
 そして、娘は見事な発音で、「○○○よ」と英会話教室の名前を告げ、母の発音を正した。
 英語はどちらかと言えば苦手だ。海外の人と話す時はしどろもどろになるし、通訳がないとほとんど話にならない。そのたびにもっと勉強すべきだったと後悔し、今からやろうと思って挫折する。
 一方、今は小学校から英語が導入されつつあるほか、塾で英会話を習う子どもも多い。つまり、このCMのやりとりは、現実に起こりうる。下手をすると馬鹿にされるかもしれない。もし自分が母親の立場だったらと思うと、背筋に冷たいものが走る。
 そう考えながら、思い出した。私自身、パソコン操作を間違えた父に、「こんなんもでけへんのかいな」と言ったことを。これぞ因果応報だ。
 技術や学習の進歩は、親世代の「切なさ」と切り離せないのかもしれない。何とも言えない気分になった。(森田靖久)

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