波静かな栗田湾に面した中津の子安地蔵堂を訪ねる。往時の神宮寺と関係のあったこの地蔵堂は、現在地から少し西の堂の谷にあったが、明治36年の火事により焼失し、現在は獅子谷道路のそば、すこし山に登った所に鎮座している。創開は南北朝時代の興国3年(1342)である。堂内の「子安さん」は33年ごとに御開帳になる秘仏で、次は平成29年4月29日に行われる。
狭い登り道を登って堂宇に辿りつく。正面兎の毛通しには建物とのバランスを欠くほどの大きな長寿を願う海亀が居る。本堂入口の上部梁間には、子どもが数人愛くるしい姿で隠れん坊をしているように見える。よく視れば中国の司馬温公の子供の命は何物にも代えがたいと言う“甕割”である。内部には中央に赤い色彩が強く残った龍と木鼻の所に唐獅子が密やかに彫られている。明治37年に施され、梁間の左隅に丹波柏原町、中井権次正胤の銘が見える。
中井権次研究家 岸名経夫