天台宗。浜坂清富の相応峰寺の塔頭寺院だったが、寛永5年(1628)に時の住職と本尊と共に現在地に移り、今に至る。浜坂からの国道178号を対田で左折した所に、天台宗紫雲山不動寺と彫った立派な石柱が迎えてくれる。境内は清掃が行き届き、静謐さの溢れる寺院である。また立派な鐘楼も目に入る。
本堂に招き入れられる。本堂の立派さにまず敬服する。その正面前部の欄間が圧巻である。大きく幅広いものである。欄間上部には、紫雲に乗った雅楽器を奏でる優雅な天女が舞っている。その下に2頭の竜が阿吽の呼吸で睨み合っている。朱色の残る目や宝珠、“いらか”の立ち上がりも、秀逸だ。また3面の欄間の2面には松と竹の間に佇む鳳凰、残り1面には、上部に俵屋宗達の風神雷神の素晴らしい絵、下部には牡丹の花に囲まれた躍動感ある鳳凰が彫られている。作人丹州柏原住中井清次良橘正用(正貞の弟)の傑作である。
中井権次研究家 岸名経夫