創建は奈良時代、女帝元正天皇朝の715年である。開創の百済系渡来人の僧行基(668-749)は、主として畿内にあって、道場や仏閣を多数建立しただけでなく、その他公共事業のボランティアとして広く民衆に支持された。政権側からは疎まれた存在だったが、741年に東大寺造立の実質責任者として聖武天皇に招聘され、菩薩という諱(イミナ)も贈られたほどの傑物。八鹿町元町を出発して名草神社へ通じる妙見街道の馬瀬のバス停留所を少し上がった所に佇む古刹である。辺りは穏やかな雰囲気が漂っている。
本堂の右側の欄間にそれはそれは巨大な竜(3前後)が1頭首を左から右下方に曲げて辺りを睨んでいる。屋内であるゆえ、風化せず欅が飴色で美しい。目の縁も赤みを帯び、長い銅線も立体的、宝珠も中央に位置し、躍動感あふれるものだ。別の欄間の波と千鳥もいい。6代目中井権次正貞の大作である。
中井権次研究家 岸名経夫