柏原八幡宮の三重塔の背後の八坂神社(祭神は素戔嗚尊)の流れを汲む八幡さんよりも古い神社で、円墳の上に建てられたものである。柏原七大歳の一つ。現在の社殿は明治維新よりもすこし前に建立された。
拝殿中央の狭い梁間に竜が居る。頭を右上空に向け宝珠を抱え込むようにし、赤い舌をぴんと立て、“いらか”も躍動感あるものだ。木鼻の左右には獏だけが外を向いている。手挟みには海鳥と鶴が居る。力強く迫力がある。惜しむらくは鶴の脚の先端が無くなり、頭も無くなっていることだ。7代目中井権次正次の40歳代の彫り物である。
すぐ横に有名な太鼓櫓がある。後の織田藩主信休が国替えの時に大和宇陀松山藩のそれを正徳4年(1714)に大手門付近に移築し、明治維新後藩主の上京と共に民間の手に委ねられた。神社のすぐそばに小谷家の屋敷が残る。旧柏原中第3回卒首相芦田均が下宿をしていた屋敷である。
中井権次研究家 岸名 経夫