創建時は18世紀初頭。旧道のN酒造の横から神社に入る。静かな佇まいの、春日造りの立派な本殿である。江戸時代初期、日光東照宮に駆り出された各地の宮大工、彫り物師などが、完成後それぞれ、いわば下放されたわけで、丹波、但馬、丹後、播磨の人たちが生業を立てるために企業集団を設立したと思われ、欅を主材とした彫り物が始まり、丹波市では、ここの神社と氷上町南油良の貴船神社がその嚆矢である。
再建された文化15年(1818)以前の社の正面向拝の宝珠を握った迫力ある龍と手挟みの菊の花がそのまま新社殿に移された。他に多彩な彫り物が所狭しと施されている。木鼻の阿吽の唐獅子と獏、さらに象が本殿の側面に二体、上部には鶏が12体も見える。麒麟も裏面に4頭、蟇股には長寿を願う鶴亀が居る.青竜軒と号した最晩年の五代目正忠と権次と名乗り始めた六代目正貞の合作による秀作である。
中井権次研究家 岸名経夫