再び、かるた名人戦へ 元名人の岸田諭さん 2度の「運命戦」乗り越え

2019.11.30
ニュース丹波篠山市地域地域

再び競技かるた名人戦に挑戦する岸田さん

もう一度、あの舞台へ―。来年1月11日に滋賀県大津市の近江神宮で開催される、小倉百人一首競技かるたの「第66期名人位決定戦」(全日本かるた協会主催)に、兵庫県丹波篠山市乾新町出身で篠山かるた協会所属の元名人・岸田諭さん(32)=京都市=が挑戦者として臨む。激戦の予選をくぐり抜け、4年ぶりに名人位に手を伸ばす岸田さん。「みなさんからの応援が原動力。自分のがんばりで人が喜んでくださることがうれしい。もう一度、名人になり、子どもたちに夢を与えられる存在になりたい」と意気込んでいる。

岸田さんは2013年、兵庫県出身者として初めて名人位に就き、16年までの3期にわたって座を守ったものの3度目の防衛戦で敗退した。

今年10月、名人位に挑戦する西日本代表決定戦に出場。32人によるトーナメントに臨み、決勝で元準名人の三好輝明さん(福井渚会)と対戦した。

最終戦、三好さん5枚、岸田さん13枚と8枚差でリードを許していた場面から怒涛の11連取で逆転。最後はお互いの陣地にある札が1枚ずつという「運命戦」となり、岸田さん側にあった「人もをし」の札が詠まれ、激戦に終止符を打った。

迎えた11月の挑戦者決定戦では東日本代表の浜野希望さん(慶応かるた会)と対戦。五分五分の勝負となり、最終戦で再度、「運命戦」になった。

岸田さん側に残っていたのはまたもや「人もをし」の札。98枚目まで場にない「空札」が詠まれるという名勝負となり、99枚目で「人もをし」が詠まれた。

再び、大舞台への挑戦権を得た岸田さんは、「『人もをし』には、『名人』の『人』が入っている。不思議な力が働いたとしか言いようがない」と振り返る。

挑戦者決定戦で札を払う岸田さん(右)

名人戦敗退から1年後に結婚。1歳半の子を持つ父となった。「毎日が感動」(岸田さん)の子育てが楽しく、練習はほとんどできていなかったが、家族の理解もあり、毎年、予選に出場。仕事のために出場できなかった昨年以外は決勝まで駒を進めるなど、培った経験と技術で「強さ」を保ってきた。

競技を続けている背景には、周囲からの応援と祈りに似た期待がある。

出身者から名人輩出という夢を抱いていた元篠山かるた協会会長の渡辺昇さん(故人)をはじめ、協会関係者らは前回、名人位に就くと、わがことのように喜び、「おめでとう」ではなく、「ありがとう」と言ってくれた。その後も声援を送り続け、練習相手になってくれたり、遠方での大会に駆けつけてくれる人もいる。

「プレッシャーというよりも感謝しかなかった。応えるためにはもう一度、名人になるしかない」と言い、「まだまだやればできるという自分の気持ちを眠らせきれていない」と話す。

現名人の粂原圭太郎さん(京都大学かるた会)は、昨年、岸田さんが座を譲った川崎文義前名人(福井渚会)を破った人物。岸田さんは、「自分の聞く速さも取る速さも落ちてはいない。けれど50枚の札の場所を正確に覚えることは練習量に依存する。挑戦までにどれだけ練習できるか」と言い、周囲もその思いに応えるために、急ピッチで練習日程を組んでくれている。

「初めて名人になったときは右も左もわからなかった。でも、応援をいただいたり、小さな子たちの練習に出向くうちに、たくさんの人の夢を背負っている存在だとわかった」と感慨深げ。「30歳を過ぎた。昔の自分に戻って挑戦するのではなく、新しい自分を見せ、再び名人の座に就きたい」と意気込んでいる。


きしだ・さとし 小学校1年生の時から競技かるたを始め、高校ではかるた部に入部し、各地の大会で活躍する。大阪大学時代に頭角を現し、2009年、初めて名人戦に挑戦するも、名人に敗れ、準名人の座に甘んじる。13年、兵庫県出身者として初の名人位に就き、14、15年と防衛に成功。16年の防衛戦で敗れた。

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