日本の夏は怪談の夏。歴史ある兵庫県丹波篠山市の城下町周辺ではその昔、数多くの怪談話が語られていたようです。郷土史家・奥田楽々斎が「多紀郷土史考」(1958年発行)に記載している「篠山の怪談七不思議」の文章をほぼ原文で紹介します。物語に登場する地名を頼りに、怪談の舞台はどこだったのかを探ってみました。
「私の子供時代(明治30年頃)には篠山町(現・丹波篠山市)にでも怪談があって、子供仲間でも大いに信じていたものだ。俗に篠山の七不思議とでもいうか、その頃は大人でさえも真面目に話を聞かしてくれたものだ」 ―奥田楽々斎―
◆1田代の前(東新町)
この田代というのは坪井の南で東馬出の堀に添うて西に行くところに田代という人の邸宅があった。ここは北向きの家であるために前の道路が悪かったらしい。
「思うても田代の前は通るなよ昼はいてどけ夜は化け物」
◆2坪井の榧の木(東新町)
現在の市民講堂の前の屋敷が坪井という旧士族の宅であった。ちょうど道傍の塀の内側に5つ抱えもあろうという榧(かや)の大木があった。この榧の木は古木であったから、いささか幽気を含んでいた。これも夜分にその下を通ると思いもかけずこの榧の木の上から生首が落ちてくる。これには誰も驚くのは当たり前である。
ただし、これには真の怪物ではなくてトリックがあった。それはあらかじめ徳利に「かもじ」の毛をくっつけたものを釣っておいて、頃合いを見て縄を緩めて落とすのである。これは後に分かったトリックだが、最初はこれを「ツルベ落とし」といって怪談の一つになっていた。
◆3番所橋の酒買い小僧(西町)
番所橋は西町の妙福寺の東を南北に流れる川に橋があり、ここに旧藩時代番所があったためこの名がある。時は秋の終わり頃で雨のショボショボ降る晩である。3尺(約90センチ)足らずの小僧がしかも裸足でビチャビチャと徳利をさげて通る。
これに出会うと何となく身内がゾクゾクして恐ろしくなってくる。おまけに顔でも見れば顔の真ん中に丸い目が一つピカピカと光っている。如何な武士でもこれには驚いたものだ。
◆4川ン丁の鼻黒(東新町)
「川ン丁」とは梅の小路の橋から川に添うて南へ小川町までの間である。ここの怪物はもうひとつはっきりしないのであるが、何でも鼻の頭の黒い奴に違いない。王地山の開帳などの時に「砂持せん者鼻黒じゃ」と盛んに言ったものだ。
◆5一本松の見越の入道(北新町)
一本松とは現在も残る篠山鳳鳴高校の横の松だ。雨の降る晩に傘をさしてここを通ると、にわかに傘が重くなるのでヒョイと傘を見ると、後ろから傘を越して大入道がゲラゲラと笑う。相当ものすごい奴である。
◆6観音橋の夜泣榎(東沢田)
野間や和田あたりの若い衆が篠山へ夜遊びに来て、11時、12時頃に帰るときにはどうしてもこの観音橋を渡らねばならないのである。ところが、この観音橋の傍らに目通り12尺(約3・6メートル)ほどの古い榎(えのき)がある。
樹齢は350年ほどのものであるが、これがまたその下を通りかかると、さも悲しい声を出して泣くのである。この声を聞くとソラ!と言うので一生懸命に走ったものだ。特に雨の夜などは一層ものすごい。この榎は切って今はない。
◆7土手裏のおちょぼ(河原町)
「おちょぼ」と言うからには女の子であるらしい。土手裏とは観音寺前の小路を南に入って東に向かう。京口橋までの間の藪中の裏道を俗に土手裏という。暗夜、この道を通ると一人の頭をがっそうにした「おちょぼ」に出会うのである。
黙って通ればよいのだが、自分も寂しいので、つい「姉ちゃんどこへ行く」などと声をかければ大変だ。「おちょぼ」が振り向いた顔を見ると、夜目にもはっきりと見えて目も鼻もないヅンベラボウである。
取材で話を聞いた地元の人々のほとんどはこの怪談のことを知らなかった。近年、怪異があったという話もない。夜がまだ人間の領域になっていなかった昔、妖怪たちは人々の記憶、恐怖心の中に生きていたのかもしれない。
※物語に登場する施設名などは書籍発刊当時のものです。
※妖怪のイラストは、丹波篠山市在住のイラストレーター、 田んぼ超(スーパー)さんによるものです。