明智光秀の丹波国平定戦「丹波攻め」で落城し、豊臣秀吉の時代に再建された兵庫県丹波市山南町和田の県史跡「岩尾城跡」でこのほど、地元住民らによる大掛かりな雑木伐採が行われた。野面積みの石垣がよく残り、「知る人ぞ知る」戦国山城だが、茂った木々で見通しが悪くなっていた。光秀が主人公の大河ドラマ「麒麟がくる」の放映を機に整備を進めようと、4月に「ふるさと和田里山づくり協会」を立ち上げており、3カ年計画で整備していく。
岩尾城は1516年(永正13)に和田日向守斉頼が築城し、1579年(天正7)に明智光秀の丹波攻めにより落城した。1586年(天正14)に佐野下総守栄有により再建されたが、1596年(慶長元)、豊臣秀吉の城取り壊しの命により廃城となった。
蛇山山頂(358メートル)にあり、本丸跡には天守台や石垣などが現存する。戦国時代の山城と、改修後の近世的な城郭様式が両方見られるのが特徴。
整備には、同協会のメンバーと、同市教委文化財課職員や、ボランティア有志ら計16人が参加。チェーンソーや鎌、のこぎりなどを手に、丸1日かけて頂上付近で木を伐採した。標高300メートル近くの登山道脇には、城で使われていた井戸跡があり、その周辺を広範囲に見通しよく伐採したほか、柵も新しくした。
今後、頂上から東西南北の各方面が眺望できるようにするほか、より多くの集落から城跡が見えるようにする計画。
同協会の村上芳功会長(72)は「城跡や、城跡からの景色を見えやすく、また登りやすくして、まずは住民の関心を高めたい」と話していた。