きょう14日は旧暦の1702年(元禄15)、大石内蔵助(くらのすけ)率いる赤穂義士が吉良上野介(こうずけのすけ)邸に討ち入った日―。兵庫県丹波市の春日町と氷上町を結ぶ天王坂沿いに、大石の妻「りく」が通った際に激しい腹痛に見舞われ、近くの石清水を口に含むと痛みが治まったと伝わるゆかりの地がある。この恩を忘れなかったりくが寄進したと伝わる石碑が、今なお天王坂に立っている。
石碑は天王坂の頂上付近に立つ。車道から斜面を数メートル下ると瓦ぶきの社があり、「南無阿弥陀佛」と刻まれた高さ1メートルほどの石碑がたたずんでいる。「元禄十六癸未」「九月 吉祥」などの文字が彫られ、石碑の手前には水をたたえた石組みの穴がある。
車道沿いの案内看板や、春日町誌(第四巻)の「ふるさとの物語」を要約すると、りくはお供と共に山科から但馬の実家へ戻る途中、天王坂にさしかかった。その際、腹痛に襲われ、お供が近くの石清水をりくの口に含ませると、痛みが回復。りくは但馬へ帰ってからもこの出来事が忘れられず、天王坂に謝恩碑を建てた―とある。
車道沿いには、同市の俳人・西山小鼓子さんの「妻りくの 駕籠もたどりし 花の道」の句碑もたたずんでいる。