農村の「時報サイレン」 午前5時や午後10時も 生活密着も消えゆく文化

2021.07.18
ニュース地域歴史

後川地区に時を告げているサイレン。午後10時にも鳴る=兵庫県丹波篠山市後川上で

取材帰りの午後10時、兵庫県丹波篠山市内の自販機でコーヒーを買っている時だった。暗闇が広がる集落に突然、音楽が響き渡った。家の明かりもまばらで、辺りには人っ子一人いない。聞いてはいけないものを聞いてしまったのか―。翌朝、地元の人に聞くと、「あぁ、時報や」とあっさり。そういえば市内各地でさまざまな種類・時間帯の時報を聞いたことがあるが、まさか夜にも鳴っているとは思わなかった。時計だけでなく、テレビ、ラジオ、携帯―。さまざまなものが時を知らせてくれる現代社会にあって、なぜ時報は鳴るのか。市内の“サイレン事情”を探ると、農村ならではの生活に密着しながらも時代と共に消えゆく文化があった。

午後10時にサイレンが鳴ったのは同市後川地区。後川文化センターにあるサイレン棟のスピーカーから毎日、ミュージック調の時報が鳴っている。

住民によると、時間と曲は、▽午前6時=「椰子の実」▽正午=「スコットランドの釣鐘草」▽午後5時=「夕焼け小焼け」▽午後10時=「遠き山に日は落ちて」―。正午の曲は、口ずさめるものの曲名を知らない人が多く、地元の人や知人の音楽家、小学校の先生たちにも調べてもらい、ようやく判明した。

近くで聞くとそれなりの音量だが、聞こえている範囲はそれほど広くないという。「夜にも鳴るんですね」という驚きを込めた記者の問いに、地元の人は口をそろえたように言う。

「あぁ、鳴ってるけど、それがどうしたん?」

◆ミュージックや「ウゥー」など

改めて市内の時報サイレンについて取材を進めたところ、サイレンが鳴る施設が複数あることが分かった。地区や自治会独自で鳴らしているものもあれば、市の防災行政無線による時報が屋外スピーカーから流れているところもあった。

種類もさまざま。ミュージック調のサイレンのほか、いわゆる「ウゥー」のモーターサイレンが鳴るところもある。時間設定もまちまち。普段と違う場所でサイレンを聞き、「もう12時かと思ったら、まだ11時だった」という人もいた。

現在、夜間に鳴っているのは先述の後川地区のみのよう。後川に朝を告げる午前6時も早いが、特筆すべきは福住地区。福住会館から鳴っているモーターサイレンは、なんと一番早い時間で午前5時に鳴る。

後川の午後10時同様、地元の人はどう思っているのかと尋ねたが、こちらも、「正直うるさいけど当たり前やから、別になんとも」というほど暮らしに溶け込んでいる。

一方で、都市部から移住した人は、「都会ではウゥーのサイレンを聞いたことがなかったので最初はびっくりした。電話中に鳴ると、相手から『大丈夫ですか?』と心配されることもあります。だいぶ慣れてきましたけどね」と苦笑する。

どうやら市内では当たり前のサイレンも、都市部では珍しいもののようだ。

市内の主な時報サイレン

◆長い歴史持つ農作業と連動?

改めて時報とは何か。歴史は古く、起源は飛鳥時代にまでさかのぼる。各地に寺院ができると定時に鐘が鳴らされた。明治からは正午に空砲が鳴った。サイレンによる時報は昭和初期に東京で始まり、各地に広がったとされ、いずれも時計が一般に普及していなかった時代、サイレンが時間を知る手掛かりだった。

戦中には空襲警報が鳴ったこともあってモーターサイレンに恐怖を覚える人がいたため、戦後、ヤマハの前身「日本楽器製造」がミュージックサイレンを開発したという。

市内のサイレン時報もほとんどが長い歴史を持っており、複数の話をまとめると、戦後しばらくしてから設置されたと考えられる。

かつては福住や後川のように午前5時や午後10時になっていた場所もあったが、現在は基本的には朝、昼、夕に鳴っている。時間帯の意味はどう捉えられているのか。

昼は正午や午前11時半が多く、地元からは、「外で農作業している人に昼ご飯の時間を伝えるためでは」という声が多かった。

夕方は主に遊びに夢中になっている子どもたちに帰宅を促すものという意見が主流。夏休みに時間が変動するのは日が暮れる時間が変わるためだ。

サイレン設置当時を知る人にはたどりつけなかったが、約70年の歴史を持つ篠山地区・河原町の「王地山ミュージックサイレン」は改修時の行政文書に、「風物詩のひとつとして、また野外で仕事をしている人や子どもたちに時報を告げる」とはっきり書かれている。

サイレンを聞いて育った地元の男性は、「夕方のサイレンが鳴ると、遊びをやめて帰るようにしていたので、『ホームサイレン』と呼んでいた」と懐かしそうに振り返る。


◆「もう寝なさい」しつけの一環?

朝については、起床の知らせや「バスの始発の時間が関係しているのでは」などの声があった。かつて午前5時に鳴っていた別の集落では、「夏は日が昇ってから農作業をしたら暑い。だから早く起きろという意味やないかな」「かまどに火を入れる時間では」―など、地域によってさまざまな推測が上がる。

昼や夕方に鳴る理由は理解できた。朝も住民の声にはそれなりに説得力があるように感じる。不確かなのが夜のサイレンだ。

唯一、夜に鳴っている後川の住民に問うと、「なぜかと言われたら、そろそろ寝ようという意味やと思っているけど。確かになんでやろな」とぽつり。別の住民は、「朝がかまどに火を入れるなら、夜は火の用心かも」と想像する。

「子どものころ、サイレンが鳴ると親から『寝なさい』と言われたし、夜更かししてサイレンを聞くと、聞いてはいけないものを聞いてしまったという気持ちになった」と話す人もあり、”しつけ”の一環ともとれる。別の男性は、「飲みに出てサイレンを聞いたら切り上げていた」と話す。こちらもある意味「ホームサイレン」だ。

とはいえ、早朝、夜間ともに寝ている人もいる時間帯。意味はともかく、迷惑に感じたりしないのか。ある住民は、「不思議なもので、意識しなかったら耳に入っていても聞こえへんで」と、あっけらかんと笑う。

◆火災発生時の出動「メール見て」も

地方都市に響くモーターサイレンは時報だけでなく火災発生時にも鳴り、地域の消防団員や住民に発生を知らせる重要な役割を担っている。かつては釣り鐘の「半鐘」だったものが、今はサイレンに代わった。そのため記者も仕事柄、「ウゥー」が聞こえると身構えることが多い。

市消防本部によると、携帯電話が普及した現在では、団員に出動メールを配信している。サイレンを併用しているのは、「深夜の火災もあり、サイレンはメールを見てもらうためという意味もあります」と話す。

消防のサイレンは専用の屋外スピーカーのほか、各地の時報サイレンを兼用しているものもある。そのため、正常に作動するかどうかを確認する試験放送の意味で、時報とは別に毎月1日の午後5時にサイレンを鳴らしている。防災行政無線の時報も同じ意味だ。

いつもは鳴らない時間にサイレンが鳴り、「あ、今日は月初めか」と思い至ることも多い。

◆都市部は鳴らず「混乱のもとに」

ただ、都市部からの移住者は「聞いたことがない」と話したため、県消防課に尋ねてみると、「都市部では鳴らないことが多いですね」と返答があった。

その理由を都市部の消防機関に尋ねたところ、ほとんどが「昔は鳴っていたが、今は鳴らしていない。一番は携帯電話の普及によって連絡ができること。地方ほど消防団の受け持ちエリアが広くないため、広範囲に知らせる必要がない」ということだった。

また、ある消防局は、「昔は出動のためのサイレンと知らない市民から、『あれはなんや』という声もありましたね。今鳴らすと混乱のもとになるかも」と話した。

公民館の屋上に設置されたモーターサイレン。火災発生時にも「ウゥー」

◆時代の変化や苦情で減少へ

農村の生活に溶け込んだサイレンだが、社会の変化に伴って少しずつ減ってきている。前述の王地山ミュージックサイレンもかつては午前5時と午後10時にも鳴っていた。

午前5時がなくなった理由は、サイレン棟の近くにある宿泊施設。関係者によると、「宿泊客から苦情が出たからやめた」という。午後10時は老朽化した機器を新築した際になくした。

ほかにもかつては午前5時に鳴っていた場所があったが、近隣の新住民から苦情が出てやめた。

昼と夕方のほか、午前5時、午後10時にもサイレンが鳴っていたある集落では昨年、早朝と夜間を取りやめた。自治会長は、「鳴らないことに違和感を持つ人もいるかもしれないけれど、今の時代に合っていない」と話す。

ある住民は、「ある意味、昭和の農村文化の象徴だったが、今は農家が減って会社員が増えたことや、新住民が増えるなど社会の変化が起きていて、存在価値がなくなっている」とする。一方で、「なくなったら寂しい気持ちもある。それくらい生活に根付いているからねぇ」としみじみ語った。

ライフスタイルが多様化し、家の中を見渡せば、さまざまな場所に時計がある今、時報サイレンは必要性を失いつつある。昭和に生まれ、農村では令和まで生き残っている遺産。そう遠くない将来、消えていくかもしれない。

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