「足利尊氏の挙兵と丹波」 花園大・生駒さん講演 「丹波学」講座

2021.09.06
地域歴史

「足利尊氏の挙兵と丹波」と題し語る生駒さん=2021年8月28日午後2時7分、兵庫県丹波市柏原町柏原で

兵庫県丹波市の「丹波の森公苑」が主催する「丹波ゆかりの人ともの」をテーマにした講座「丹波学」の初回が8月28日、同公苑ホールで開かれた。約90人が集い、花園大学専任講師の生駒孝臣さんが「足利尊氏の挙兵と丹波」と題し、講話した。

生駒さんは、尊氏の母・上杉清子の生家が丹波国上杉庄(京都府綾部市上杉)であることに言及。「清子の祖父の出自は藤原氏。母方の縁もあり、尊氏は丹波と京都に接点があった」とした。

一方、院政を行う権利がない“中継ぎ”の天皇だった後醍醐天皇は、自身を1代限りの天皇とする構想を支持した鎌倉幕府に不満を持っていたとし、何度も倒幕を計画したと説明。幕府側の尊氏の活躍もあって、これらを鎮圧したものの、1332年(正慶1)に反乱勢力が再起した際には、尊氏はいったん、討伐に向かったものの、同府亀岡市の篠村八幡宮で幕府に反旗を翻して挙兵したとした。

この際、現在の丹波市山南町を中心に勢力を拡大していた久下弥三郎重時が、「一番」と書いた旗印を持った兵を率い、一番目に参陣したことを紹介。「一方で、尊氏に味方せず、高山寺(同市氷上町)にこもる勢力もいた」とした。

後に尊氏が後醍醐天皇に謀反を起こした際には、尊氏にくみした丹波武士もおり、「尊氏にとって、丹波は軍事や交通の要衝であるとともに、母方の実家であるから重要な国だった」と話した。

関連記事