童謡「シャボン玉」「七つの子」「兎のダンス」などで知られ、1936年(昭和11)に兵庫県丹波市柏原町を訪れ「柏原小唄」を作詞した歌謡詩人、野口雨情が書いた2つの書が、同町内の旧家で見つかった。雨情が、同市の崇広小学校で児童に講演した際にしたためたとみられる書と、十二節の歌詞がある柏原小唄のうち、所在が不明だった一節が書かれたもので、いずれも掛け軸に仕立てられている。
見つかった書は、「うさぎがおもちをつく月は十五夜お月でまるい月」と、柏原小唄の一節「咲いて見事な桜の蔭に春の花見は鐘ケ坂」の2つ。いずれも家人が整理中に見つけた。「雨情」の署名があるが、前者には落款がない。
雨情は茨城県生まれ。昭和10年代、童謡や民謡の普及に全国を回り、観光開発に力を入れ始めていた柏原町に招かれた。雨情を研究する柏原歴史の会の竹内脩さん(81)=同町柏原=によると、同町にあった「霞月楼」に3日間宿泊し、地域を散策しながら柏原小唄を作詞した。雨情は、後にそれを半切にしたため、関係者に配った。
崇広小の講堂では、上級生に「うさぎ」の話を面白おかしく聞かせたという。見つかった「うさぎが―」の書は、この時に書いたとみられる。竹内さんは、「その場で書いたため、落款がないのでは」と推測する。
雨情の孫で、野口雨情生家資料館(茨城県)の館長、野口不二子さん(80)に鑑定してもらうと、「筆跡から、どちらも間違いなく雨情が書いたもの」と言い、「時代を越えて長く保管してくださり、ありがたい」と感謝する。
野口さんは「『うさぎが―』の方は、即興で書いたのでしょう。子どもたちに分かりやすい字で書いていることがうかがえます」とほほ笑む。柏原小唄の一節については、「雨情は他の場所でも小唄をつくっているが、屏風にまとめたりしており、柏原は掛け軸。そこが違う」と語る。
竹内さんは「柏原小唄はあと一つ、『天の橋やら雪さえかけて鬼の架橋見え隠れ』の所在が分かっていない。何とか出てきてほしい」と話している。