実は…室町末期制作でした 仏殿に残る後醍醐天皇像 胎内の書状で判明

2024.02.20
地域注目

後醍醐天皇坐像の胎内から見つかり、修復した文書を手にする山本住職=兵庫県丹波市青垣町桧倉で

仏殿の改修工事が進む高源寺(兵庫県丹波市青垣町桧倉)で、仏殿に納められていた後醍醐天皇坐像の胎内から、仏師が納めたとみられる書状が見つかった。「永禄八年十月」(1565年)と書かれており、像の制作年代が室町時代末期であることが初めて明らかになった。

同寺は、織田信長の命を受けた明智光秀の丹波攻め(1575―79年)で焼け落ち、享保5年(1720)に再建された。像の制作年代は不明で、同寺の山本祖登住職(68)は「仏殿が出来た頃の像なのかなという思いがあった。丹波攻めの10年以上前に作られたものだったとは。思いもしなかった年号」と驚いている。

1325年に開かれた同寺。翌26年に後醍醐天皇から「高源寺」の号を賜った縁で、同天皇像がまつられているとみられる。寄木造の同像の傷みがひどかったことから、仏殿改修に合わせて像を修復しようと山本住職が動かしたところ、胎内から折り畳まれた文書が見つかった。紙を開こうとしたが破れそうだったため、奈良県の専門業者に出し、裏打ちをして読めるようにしてもらった。文書は、A3用紙サイズが2枚。

山本住職は「書いた物が残っていたことで、制作年代や思いが分かる」と言い、修復した書状を、令和5年の仏殿大改修時に書状を見つけて修復した経緯をしたためた和紙と共に、再び同像の胎内に納めた。

文書はこれから解読する。一昨年9月に始まった仏殿の改修は、4月完成予定。4月29日に落慶法要を予定している。

関連記事