共に能登半島地震で大きな被害を受けた石川県七尾市で暮らす兵庫県丹波市柏原町挙田出身の鈴木淳子さん(41)=旧姓・下井=と、同市山南町小野尻出身の山口敦子さん(27)=同・大地=がこのほど、地元紙「丹波新聞」の記者を介して鈴木さん宅でもある七尾市の妙圀寺で初対面。意気投合し、能登で暮らす丹波人同士、親睦を深めることなどを目的にした「のと丹波人会」(仮称)を結成した。
能登の地で丹波弁の地元トークに花を咲かせ、「知人が少ない能登で丹波人とつながれて本当に心強い」と喜び、「他にも能登に丹波人がいるかもしれない。ぜひつながっていけたら」と参加を呼びかける二人。共に丹波から330キロほど離れた七尾に、人口約6万人の同郷人がいるとは知らなかった。
“設立総会”で二人は、会の構成員は、石川県能登地域に暮らす兵庫・丹波地域(丹波市、丹波篠山市)出身者とその家族と設定し、▽能登にいる丹波人の親交を深める▽丹波の人々が能登を訪れた際の受け皿になる▽丹波の人々に能登の観光情報や暮らしている者しか知らないおすすめ情報などを伝える▽能登半島地震での被災体験やその後の生活での経験を伝える―を柱にすると決めた。
二人は、「1月の地震以降、丹波の人たちには本当にいろんな支援をしてもらったので、恩返しになる取り組みができたら」と声をそろえる。
鈴木さんは夫で住職の和憲さん(44)との結婚を機に七尾に移住。娘の沙和さん(9)と暮らす。山口さんはインターンで能登を訪れた後、森林組合に就職。特産の「能登かき」を養殖する翔太さん(29)と結婚し、息子の大智ちゃん(0)と暮らしている。
1月1日の地震では、それぞれ自宅で被災し、強烈な揺れに見舞われた。鈴木さんが暮らす寺は山門が崩れるなど大きな被害を受けたものの、支援物資の配布や炊き出し、人々が集って交流する場として開放。山口さんは目の前で隣家が倒壊したほか、余震や断水が続いていたことから、大智ちゃんと金沢市の親戚の元に身を寄せていた。夫の翔太さんはYouTubeで現地の様子を配信し続けたほか、特産の復興にといち早くかきの出荷を再開した。
そんな中、本紙記者が能登で暮らす丹波人を探していたところ、東日本大震災時につながった宮城県のNPO法人代表から紹介された七尾の男性の情報をもとに山口さんにたどり着いた。
その後、七尾の知人から聞いたという山口さんからの情報で、妙圀寺に丹波人がいることが判明。記者が寺に連絡を取ろうとしていた矢先、友人からインターネットで配信した山口さんの記事を教えてもらったという鈴木さんが、本紙公式X(旧ツイッター)で記者とコンタクトを取ったことでつながった。
互いの記事を読み、「会いたい」と思いを募らせた二人。地震から5カ月が過ぎた6月、記者の呼びかけで初対面をかなえた。
談笑する中で、山口さんに鈴木さんの存在を伝えた知人と、本紙の記事を鈴木さんに教えた人が夫婦だったことが判明。さらに山口さんの母と鈴木さんの義姉が元同僚だったことも分かり、「世間は狭い」と笑い合った。
鈴木さんは、「お寺なので、外に働きに出ることもないし、寺か娘の学校関係以外は知り合いが増えていなかった。もともとの知り合いも親戚もいない土地で、関西弁をしゃべる人も少ない。敦子さんの存在を知った時は、『まじか!』と驚いた」と目を丸くする。
山口さんも、「高校時代には淳子さんの実家の近くを通っていた。能登に来てからも友だちと『山の寺寺院群』(妙圀寺を含む16寺院)を見に来ていたので、実はニアミスしていた」と言い、「七尾で丹波の人に会えることは特別感がすごい。新しい親戚みたい」と喜んだ。互いの名前がいずれも「あつこ」と呼べることも「不思議」と笑った。
互いに子育て真っ最中。「地震もあって命や生き方を考えるタイミング。お互い気軽に相談し合えたら」と言い、「地震や復興までの過程、困ったときには何が必要か、子どもがいる中での被災など、経験したからこそ語れることを丹波の皆さんに伝えることができれば」と意気込む。
他にもいるかもしれない能登の丹波人に向けては、「地震で大変な目に遭ったけれど、丹波と聞くだけでほっとする。同じ境遇の者同士、支え合えたらと思うので、ぜひ連絡してほしい」と呼びかけている。
二人への連絡は、妙圀寺のXで。「のと 山の寺 妙圀寺」で検索を。