秘密裏に埋めた軍旗 戦争の記憶を今に伝える 連載”まちの世間遺産”

2025.08.21
地域歴史注目

2020年に初めて一般公開された際の軍旗の一部と竿頭=兵庫県丹波篠山市呉服町で

当たり前にありすぎるけれど、住民が大切にしていきたいもの「世間遺産」―。丹波新聞では、兵庫県丹波地域の人や物、景色など、住民が思う”まちの世間遺産”を連載で紹介していきます。今回は、兵庫県丹波篠山市立歴史美術館(同市呉服町)に収蔵されている「軍旗」です。

8月15日に80回目となる終戦の日を迎えた。多くの命が散った太平洋戦争の記憶も薄れつつあるが、歴史美術館には、丹波から戦地に赴き、戦禍に巻き込まれた人々の思いがこもった品が今も収蔵されている。同市郡家にあった「大日本帝国陸軍歩兵第70連隊」の軍旗の一部だ。

旭日旗の一部とみられる赤と白の布地と、菊花をあしらった竿頭からなる。

70連隊は、1907年(明治40年)の編成。練兵場の背後にそびえる盃ケ岳や多紀連山を舞台にした厳しい山岳訓練で、「丹波の鬼」として全国に名をとどろかせた。

各地を転戦し、敗戦時、宮崎県で解散した70連隊。解隊に合わせて軍旗を焼却する命令が出ていたが、隊長らが秘密裏に埋め、その後、再びその地を訪れて持ち帰ったと伝わる。故郷に戻ってきた軍旗は、長く遺族会館で保管されていたが、市に寄贈された。

在りし日の軍旗

同美術館によると、2020年に初めて一般公開。軍旗を見て涙を流す人もいたという。「焼却せずに埋めた人は命がけの行動だったと思う。多くの仲間が亡くなった戦場の中で守り抜いたもの。たくさんの思いが詰まっている」とする。

戦争の記憶を伝えるとともに、世間で普通に暮らしていた人々が戦渦に巻き込まれたこと、そして、国や家族を守るためにこの旗を掲げて戦った人々がいたということを伝える遺産でもある。

現在は学術目的などを除いて基本的に公開していない。

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