兵庫県丹波篠山市の波々伯部(ほうかべ)神社の本殿の屋根に鎮座する巨大な鬼面の存在をあなたは知っていますか―。社殿に向かって真正面、南向きに取り付けられており、その大きさは横約2メートル、縦約1メートル。顔面は黒塗り、眉間に深いしわを寄せ、にらみを利かしたその表情はまさに鬼の形相で、恐ろしさを通り越し、畏怖の念すら抱かせる。だが、モチーフは鬼ではなく、同社の祭神スサノオノミコトだという。
簡単に参拝を済ませてしまっては鬼面の存在に気づくことができない。拝殿の左右いずれかに回り込み、迫り合う拝殿とその奥の本殿との屋根の隙間を注視することでようやくその存在を知ることになる。「昔は境内から普通に鬼面を眺めることができていたそうなのですが」と話すのは、同社の近松戝宮司(77)。
近松宮司によると、一昔前まで拝殿は、本殿と10メートルほど離れて建っていたそう。夏の例祭(祇園祭)では、太鼓みこしが拝殿と本殿の間を練り歩いていたほど、十分な間隔があったという。
1936年(昭和11)、拝殿を建て替えた際、本殿と拝殿を渡り廊下でつなぐ設計としたため、本殿のすぐ前に拝殿が建てられ、拝殿の屋根が鬼面のすぐ目の前に立ちふさがるかっこうとなってしまったのだ。
近松宮司は、「迫力のある形相で、波々伯部神社はもとより、本殿背面に鎮座するご神体の山、その周囲の村々に〝悪いモノ〟が入り込んで来るのを防いでくださっている。すっかり見えにくくなってしまったが、今でもわれわれをしっかりと見守ってくださっているのです」とほほ笑んでいる。
鬼面を制作したのは、丹波柏原藩(丹波市柏原町)の宮大工で、江戸―昭和初期にかけて北近畿一円で神社仏閣の建築装飾彫刻を手がけてきた彫り物師「中井権次一統」の第8代・橘正胤(1854―1928年)。
同社にはこのほかにも中井一統による彫刻が多数見られ、社務所の居間の龍などを彫った欄間は第6代・橘正貞(1780―1855年)の作。正胤も鬼面のほかに、本殿(1894年再建)周りに鶴や唐獅子、龍などの彫刻を施し、その作品総数は106カ所にのぼる。




























