死後30年後に「茂兵衛」が寄進? 「おさん茂兵衛」テーマに講演 観音像に記された名前

2025.11.15
丹波市地域地域歴史

本尊の台座に書かれた「願主 當村茂兵衛」の文字(左下)=兵庫県丹波市春日町山田で(提供)

江戸時代の1683年(天和3)、不義密通の罪で刑場の露と消えた男女の事件があった。「おさん茂兵衛」の名でも知られており、京の大経師(暦屋)の妻、おさんと手代の茂兵衛が男と女の深い仲となり、不義密通として死罪となった事件。この事件を題材に、茂兵衛の出身地、兵庫県丹波市春日町で17日午後1時半から、ふなき荘(同町新才)で歴史講座「歴楽ふなき」が開かれる。丹波市文化財保護審議会委員の山内順子さんが講演する。船城地区自治協議会の主催。

茂兵衛は同地区内の山田集落の生まれ。おさんと茂兵衛による事件は、のちに井原西鶴の「好色五人女」、近松門左衛門の浄瑠璃「大経師昔暦」のほか、数々の小説や歌舞伎などに取り上げられた。

同集落には、本尊と三十三の観音像を祭った観音堂がある。観音堂はもともと同集落の樹源寺境内にあったが、2011年、格納庫を新たな観音堂に改修することになり、本尊や観音像を移した際、本尊の台座に「願主 當村茂兵衛」などと書かれていることが分かった。

ほかにも1721年を示す「享保六丑天」、「丹波氷郡山田村」などと記されていた。おさん、茂兵衛による事件から30年以上が経過した時期。事件を起こした茂兵衛は亡くなっており、本尊を寄進することはできないが、別人が大罪人の茂兵衛を名乗るのはためらわれるとも考えられ、茂兵衛の親族が三十三回忌を過ぎたことから供養のため本尊を寄進したのでは、と推測する地元住民もいる。

また、三十三の観音像は、山田村だけでなく市内各地から寄進されている。

当日、事件にまつわる諸説なども紹介する。参加費100円。

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