藩校講堂の礎石出土 織田家の柏原藩「崇廣館」 絵図通りの位置に

2026.01.22
丹波市地域地域歴史注目

出土した崇廣館講堂の遺構を見学する地元関係者たち=兵庫県丹波市柏原町柏原で

兵庫県埋蔵文化財課は、同県柏原総合庁舎長寿命化改修工事に伴う柏原藩陣屋跡の発掘調査で、柏原藩の藩校・崇廣館(そうこうかん)と陣屋跡に関わる遺構を確認した、と発表した。同課は▽今まで写真や絵図でしか判断できなかった崇廣館講堂があった位置を検討することができ、施設の全体像の把握につながる重要な成果▽近世後期の藩校の発掘調査例は全国的に30例ほどと少なく、藩校内の施設の一部を検出した貴重な調査事例と言える―としている。

調査区(522平方メートル)は、柏原藩陣屋跡の北西隅。庁舎テニスコートだった場所を90センチほど掘った所で、安政5年(1858)に建設された崇廣館講堂の石組遺構と礎石を検出した。石組遺構は、隣接する集水升と共に排水施設の一部とみられる。

礎石は、石組遺構に並行する形で直径20センチ大の礎石が並んでおり、同校解体工事の図面と比べたところ、礎石の間隔が同校東側軒先部分の柱間と近いことが分かり、出土位置と合わせ、講堂の東側部分とみられる。

また、L字状に屈折した近代の瓦列を検出。建物か土地を区画した溝の一部とみられる。氷上郡役所として使うため、明治15年(1882)に講堂は二階建てに改築、瓦列は改築期のものとみられ、創建期と改築期両方の講堂東側の土地利用の様子が分かるという。

県立考古博物館の菱田哲郎館長は「近世から近代に至る教育史や地域史にとって貴重な発見で、将来的にはその活用が望まれる」とコメントした。

現場を見学した「崇廣館を再建する会」の西垣伸彌会長は「価値ある遺構が出た。県の土地だが、見える形で保存したい。市に動いてもらわないと」と、再建と合わせ遺構の保存を市に働きかける考えを示した。

報告などが終われば埋め戻し、プレハブの仮庁舎を建てる。

【崇廣館】1858年(安政5)、今の兵庫県柏原総合庁舎のテニスコート辺りに建てられた柏原藩の藩校。柏原藩儒の小島省斎の進言を受けて開校し、藩士の子弟らを教育した。明治期には氷上郡役所として活用されるなど、教育と行政を担った。1922年(大正11)には、アメリカ出身の宣教師・ソーントンが崇廣館に「日本自立聖書義塾」を設け、丹波一円で伝道した。塾生は、午前中は聖書を学び、午後は労働としてピーナッツバターの製造、販売に励んだ。2007年に解体。柏原藩は、織田信長の血筋が代々、藩主を務めた。

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